震災の教訓を伝えるために【気仙沼市議会報告①】

気仙沼市議会の2月定例会(2/9~3/6)が終了しましたので、令和6年度の予算や議案審議の概要について報告します。第一弾は一般質問で取り上げた震災伝承と復興事業の課題についてです。

2月定例会は3.11を前に、震災関連のことを取り上げるようにしています。今回は震災伝承、復興宣言、第二期復興・創生期間、震災15年の向けた準備について議論しました。詳細は最後に掲載してあります。

■気仙沼市の教訓を分かりやすく伝えていこう

震災伝承については、二つの視点があります。一つは「防災」でもう一つは「復興」です。

「防災」については、震災遺構・伝承館を拠点にした防災教育をはじめ、震災対応の課題についてまとめた「災害対応記録集」と「災害対応の記録と検証」が教訓を伝えています。

課題は、津波災害から命を守るための市としての正式な教訓がなく、市民にも十分に共有されていないことです。備えや避難が大切なことは分かりますが、この震災の教訓を言葉にして残すべきです。岩手県釜石市では、防災市民憲章を策定して「備える」「逃げる」「戻らない」「語り継ぐ」をテーマに教訓を伝えていることから、参考にしてくれるそうです。

復興については、せっかく作成した記録集を活用したいところですが、分野が幅広くてページ数も多く、印刷部数が限られたため、増刷を求めました。増刷費用が割高ですが、市長も視察が来た時に渡せるようにしたかったようで、市としても手法を研究していくという答弁でした。

教訓を広く伝えること、次世代へ伝承することは気仙沼市の責務ですので、継続して議論していきます。

■地盤高 13年間で51cm戻る

復興事業の継続課題についても議論しました。

地殻変動については、地震で笹が陣の電子基準点は65cm沈下しましたが、13年かけて51cm隆起したことで、その差は14cmまで回復しました。

漁港機能への影響が心配されるため、あらためて研究者から学ぶ機会をつくることにしてくれるそうです。

■堤外への住宅建築を止められるか

災害危険区域の問題も取り上げました。

災害危険区域を指定した後に、防潮堤の高さや位置が変わりましたが、災害危険区域の設定はそのままになっています。災害危険区域内でも条件をクリアすれば「除外認定」という仕組みで住宅を建てられますが、防潮堤の位置変更によって、防潮堤の海側でも民家が建てられる場所が現れてしまったのです。

市長は「堤外の建築は許可しない方針です進める」と答弁しましたが、制度的に気要請できるかどうか再確認することにしました。

これまで何度も議論を重ねてきて、ようやく核心に迫ってきた感じがします。これも継続して議論していきます。

※一般質問で取り上げた高校卒業者の地元就職と看護学校については、第二弾で報告します。


気仙沼市議会 今川悟の一般質問  令和6年2月定例会

1. 震災伝承と復興宣言について                                               

東日本大震災から13年を迎えるに当たり、これからも震災体験を風化させないため、記録や伝承と復興宣言について質問します。

質問① 今後の震災対応や復興に役立てるため、さらなる記録の整理、研究、発信に取り組むことが本市の責務です。震災初期の職員らの証言をまとめた「東日本大震災災害対応記録集」は平成31年3月、市の対応をまとめた「災害対応の記録と検証」は令和3年3月に、復興の記録も加えた「復興記録誌」は同年12月に発行しましたが、いずれも予算の関係で印刷部数が限られたことから、増刷して一般販売するなど、より広く伝えていく考えはありませんか。また、岩手県釜石市は総合政策課内に震災検証室を設置し、教訓集や防災市民憲章をつくり、命を守るための教訓を分かりやすく伝えていますが、本市も震災伝承のために集まったふるさと納税寄附金を活用して、市民に分かりやすく、後世に伝えやすい公式の教訓集を作成する考えについても伺います

 

菅原市長 震災伝承の推進については、災害対応や復興の記録集を市のホームページで公開し、誰でも閲覧し印刷できるようにしております。議員提案の「記録誌などの増刷・販売」については、これからの増刷についてはいずれの記録誌も一部あたりのコストが極めて高いものになる事が確認されており、増刷・販売は現実的ではありません。現在庫の一部などを公募により無償または有償で提供する事などが可能か検討してまいります。

次に、公式の教訓集の作成についてでありますが、災害の種類や被災状況等により対応は多様であることから、各種災害への備えとして責任ある教訓集を作成することは難しいと考えております。一方、毎月11日を「防災を考える日」と定め、震災の教訓を含めた災害への備えや防災知識について市広報やホームページを通じて周知しており、この取り組みを継続するとともに、該当事項をとりまとめ、市ホームページでお示しするなど、市内外の方が参照できるものとして、震災伝承や防災意識の向上につなげてまいります。なお、復興フェーズについては復興記録誌にはテーマ別に64の「気づきと教訓」を掲載しております。

 

今川 印刷費が高く、販売価格も高くなるということは分かりました。お願いしたいのは、せっかく記録をまとめたので、それを活用することです。毎月11日の取り組みは防災が中心で、復興についてはあまり発信できていません。どんな思いで復興したのか、これからどのように発信していきますか。

 

菅原市長 防災以上に復興の形は様々です。実は震災翌年か平成25年かに、復興会議の委員である大西隆先生(当時の日本学術会議会長)を含めて何人かの学者さんが分厚い本をつくりました。そのとき、私も含めて被災地の首長に寄稿を求められました。1万5千字ということでした。先般、その団体から要請があって、復興に関わることなのでもう一回、今度の被災地に伝えたいのでいいですかということがありました。私ももう一回読み直して当時の生々しい感じが出ていましたので、ぜひ使ってくださいと伝えました。復興に関しては非常に難しいと思っています。例えば復興庁ができたけど、今度の能登半島地震は担当していません。一部の国会議員の中から常設でつくれということも、先般の衆議院予算委員会で出ています。政府はやりますという返事はしていません。そんな中で私たちの経験がどのように生かされるのかということについては、先ほどおっしゃっていた復興誌のようなものを、ことがあるごとに、この間も石川県の県議会議員が3人来られましたけれども、お渡ししたかったのですが、残りが少なくて、実は何十部で何百万円もするという計算はあるのか、そんな立派な紙でなくてもいいと思いました。そういう状況ですので、ちょっと方法を考えたいです。いずれ我々だけでなく、各市も研究者もいろいろ出していると思いますので、私たちのものの部数がないから何も今後できませんことでいいのかということについては、研究していかなくてはならないと思います。とにかく見積りでビックリしているという状況です。

 

今川 クラウドファンディング型ふるさと納税で震災伝承に今年度で2億円ほど集まっているということで、その使い道の一つとして考えてほしいです。私も記者時代に阪神淡路大震災から復興について学びたいと思い、神戸を訪れた際に古本屋で教訓集を見つけました。やはり手に取って調べて初めて分かることがありました。目的を持ってホームページから探すことはできるのですが、分からないことに気付くのは本や新聞の役割だと思います。次の世代にどう残すのかというときに、市のホームページにあるからいいというのは違うと思います。せっかく記録にまとめたのですから、どう活用するかを考えてほしいです。

岩手県釜石市では、昨年10月に300冊増刷しました。同じように赤字のようですが、やはり手に取って見てほしいと考えているそうです。釜石市の取り組みに共感したのは、検証をして報告書をつくって、そこから教訓誌をつくっているところです。我々も記録はしましたが、教訓はまだこれからだと思います。教訓は多岐にわたってまとめるのが難しいという答弁でしたが、釜石市の防災市民憲章では、命を守るために「備える」「逃げる」「戻らない」「語り継ぐ」という大きく四つのテーマでまとめています。このように分かりやすく伝える努力が必要です。概要版とか、もっとコンパクトにした教訓集とか、1ペーパーでもいいので、もっと単純に伝えることはできませんか。

 

菅原市長 復興と防災と二つありますが、復興の話については元々の頼み方が問題だったのか分かりませんが、さっき言ったような金額ではなく、なんで何万円もするのですかみたいな話になったので、別な方法があるかどうかは模索したいと思います。教訓の方は、私が言ったのは「多岐にわたる」ではなくて、ドンピシャなことは起こらないというということです。我々の教訓がどこにいっても必ず通じるか、どんな場面でも通じるか。たぶん、気仙沼市でもう一回津波が起こっても通じるものと通じないものがあるのではないかという意味で、どこまで責任を持てるのかという話に内部的にはなりました。それ以外の最大公約数的なものは、もうすでにいくつも出ているのかなと思います。なるほどなというところを、なるほどなというタイミング思い出してもらえばいいという意味合いだと思いますけれど、何月何日までしなければならないということでもないと思いますし、おっしゃっているように何十ページもやる必要がないということかもしれませんし、気仙沼市はこれだけは言ってもいいというものが1点かもしれないし、5点かもしれません。我々にとってもどういうものが適切か釜石も見させていただきたいと思います。

 

今川 震災伝承館のパンフレットの裏とか、目につくように教訓を発信出来たらいいなと思います。公式な教訓がないため、伝承館の語り部が伝える教訓も同じではありません。教訓については最大公約数的なものがあると思いますので、伝承館と一緒に一緒に考えてほしいです。

 

 

質問② 国が定めた第2期復興・創生期間は令和7年度で終了するため、復興財源を活用している復興支援員や生活援助員など、その後の対応について早めに準備を進める必要がありますので、今後の検討スケジュールを伺います。また、本市は震災10年の節目に記念イベントを展開し、令和4年8月に復興祈念シンポジウムを開催した際、主催者挨拶で市長は「これがファイナルイベント」と発言していますが、次の節目についてどのように考えていますか。復興期間の終了と重なる震災15年の追悼式の在り方、その際の復興宣言の必要性について、市の考えを伺います

 

菅原市長 県では令和3年3月9日に閣議決定された「復興・創生期間後における東日本大震災からの復興の基本方針の変更について」に基づき、「心のケア対策及び見守り・生活支援等の被災者支援に対する財源措置」の延長を国に要望しており、その動向を踏まえながら、政策討議等において今後の在り方を検討してまいります。

震災に関わる節目については、毎月、毎年繰り返し訪れるものであり、本市では毎月11日を「防災を考える日」に位置付けるとともに、震災11年目以降の毎年3月11日には「東日本大震災 追悼と防災のつどい」を開催し、震災により犠牲になられた方への追悼に加え、震災の記憶と教訓を次世代に引き継ぎ、新たな災害への備えにつなげる機会としております。なお、追悼式については、震災10年目以降は15年目、20年目と、5年ごとに開催する考えを既に示しており、次回は予定通り令和8年3月11日に開催することとし、前回に準じた厳かな形式を想定しております。

また、追悼式の際の復興宣言についてでありますが、ハード事業の完了や第2期復興創生期間の終了などで復興が達成されるものとは捉えておらず、復興感は人それぞれによるもので、あえて復興宣言を行うことは被災者の心情になじまないものと考え、行政主導で区切りをつけることより、市民一人一人のお気持ちを大切にし、尊重することを優先してまいります。

10年目に「ファイナルイベント」と言ったことに関しては、もとは復興計画をつくるときに市民委員会で10年後の「シンボルイベント」が議論になった経緯があり、そういう意味合いで間違って発言したものであると確認しました。

 

今川 機会あるたびに情報発信してほしいし、その機会をつくってほしいと思います。ファイナルイベントについては、10年記念イベントのファイナルだと私も感じました。これから15年、20年という節目がきます。追悼式は厳かでいいのですが、節目の情報発信が必要です。復興の教訓だけでなく、感謝を伝えることを、市民参加でやってほしいと思います。10年のときは補助金を用意して市民からイベントを募りましたが、同じようなことを15年、20年の節目でも考えませんか。

 

菅原市長 当然、毎年感謝の部分はありますが、あらためて感謝というのは非常に大事であると思いますので、15年目の時に、今年の3月11日も集いをしますが、献花の部分が追悼式になると思いますので、集いの部分をやらないということにはならないと思います。その持ち方については、追悼の部分は追悼式でやれるので、より感謝の部分とか伝承の部分を出すことになると思っています。その機会を通じて、我々が大震災の結果として多くの関係人口をつくれたことについて、さらに拡大していく仕掛け的なものになることが大事かもしれないと思いました。昨年の市政懇談会の中で、どこでも草刈りの問題が出ましたが、大島では毎年来てくれるボランティアの人たちがやってもいいよという話もありました。そのためにお願いして来てもらうわけではないけど、気仙沼市が抱えている人口減少問題は関係人口ということの中で幾割かは解消できていると思います。そのときに同時にある社会課題の解決というものも我々だけだとか、行政だけで踏ん張ってみても、知恵も含めて限界がありますので、そういうものを創造できる形が望ましいと現段階ではおぼろげながら思っています。

 

今川 復興計画をつくったときは10年が一つの目標でしたが、その10年を過ぎてみて、これからの節目をどうするのかを考える機会だと思います。まずは15年で何か仕掛けてほしいです。復興宣言については、名取市が令和2年3月に復興達成宣言をしていて、さらに被災者の心のケアに取り組みますと宣言しました。昨年7月には石巻市で復興事業完結記念イベントをしたら、「復興が終わったと誤解される」「まだ苦しんでいるのにお祭りのようなイベント納得できない」と市民から批判されてしまいました。そういうこともあり、行政主導の復興宣言はタイミングを含めて難しいということを確認するために質問しました。ただ、宣言の仕方にはいろいろあり、石巻も全国から応援職員も含めて600人ほどが出席しての感謝イベントでしたので、感謝を伝えるイベント、そのための復興宣言のようなものはタイミングを見てできると思います。

 

菅原市長 石巻も私個人も宣言という言葉に相当違和感があると思います。今川議員がおっしゃっているのは感謝を伝え、あと忘れっぱなしではないよということですよね。そういうことは先ほど言った15年の時の催し等で十分対応していかなくてならないと思いますし、そのことによって応援を頂いた自治体側の記憶にもなっていくことが大事だろうと思っています。あとは民間同士も集うきっかけというのも一つ大きなチャンスだろうと思っています。

 

今川 市長と同じ思いだと確認できて安心しました。10周年記念のときは新型コロナで全国の応援職員をどうぞ来てくださいという雰囲気ではなかったため、宿題として残っていたと思います。いつか全国から復興したまちを見に来てくださいというメッセージを何かの形で出せたらいいなと思います。

 

 

2. 復興事業の継続課題について                                              

ハード面での復興事業はほぼ終了しましたが、スピードが求められた分、これから対応しなければならない課題をいくつか残しています。今回は次の3点について質問します

 

質問① 地盤が沈下した後、隆起が続いており、特に漁港機能への影響が心配されます。そこで、震災後の13年間の地盤高の動き、現場から見た3度目の水準点改定の必要性、漁港機能への影響と今後の対応について伺います

 

菅原市長 震災後の地盤高と漁港機能への影響についてでありますが、国土地理院の地殻変動情報によると、本市では、13年間で約51cm隆起しており、震災において沈下した65cmとの差がマイナス14cmとなっております。

水準点の改定については、復旧復興事業も完了し、令和2年度に復興交付金を活用し、5漁港10箇所において、船揚場の先端を延伸する工事や物揚場に梯子の設置をするなど、必要な対応は行っており、現時点で漁港機能への大きな影響は出ておりませんが、今後の隆起次第では水準点の改定も必要であると考えております。

今後も隆起が想定されることから、国土地理院の地殻変動情報などを注視するとともに、漁港の定期点検により状況を調査しながら、漁港機能として支障を発見した場合には、早期に対策を講じてまいります。

 

今川 震災後の地盤隆起について国土地理院の発表は10年で止まっていましたが、その後も市として毎年把握する方法が確立され、今後もチェックしていくのですね。

 

齋藤水産課長 市としてもそのような発表を毎年確認しており、随時把握しています。

 

今川 今のところは隆起の影響は抑えられているということですが、この隆起がさらに続いた場合、どのくらいまで許容範囲があるのですか。10cmぐらいまでなのか、1mを超えたらか、どこまで大丈夫ですか。

 

齋藤水産課長 漁港や施設の状況にもよりますので、一概にあと何十cmは大丈夫だとは言いかねます。こちらとしては定期点検とか利用状況を確認しながら、小規模なものはその都度、修繕等の対応をしています。

 

今川 影響がなければ心配しなくてもいいのですが、平成30年の気仙沼市防災フォーラムで東北大学災害科学国際研究所の日野亮太教授が講演され、地殻変動について説明しました。2026年には震災前のレベルに戻る地区が出てきますということでしたが、そのようなペースで進んできたなと感じています。教授からは、震災前よりも高くなる可能性も示されています。時間が経過しましたので、再び専門家による勉強会をお願いして、今後の予測、13年間の統括などの知見を得る機会をお願いできませんか。

 

菅原市長 地殻変動の予想について学ぶことはできますが、漁港にどういう影響を及ぼすかということをその先生に求めるのは無理だと思います。現在は影響なく使っていると言いましたが、魚市場で最初に直したところは隆起したために船が座礁しました。それは最干潮のときで夜中でした。今は魚市場でも知っていますし、船にも広く伝わったので上手に運用していることが大きいと思います。ほとんどのことは運用で相当幅がのびるので、地殻変動の予想は我々としては勉強という意味でしっかり聞いたうえで、対応は自分たちで考えていく。また、お金がかかることなので、そういうときはきちんと対応してほしいということを国県に言っていく基礎とすることが必要かなと思っています。どっちも難しいと思っているのは、東北東への伸びが続いていることです。仙台管区気象台の方が来た時に口頭で聞いてもほぼ分からず、ペーパーを出してもらっても分かりませんでした。これからの予想にはいろんなことがあり得ると思わないとなりません。市の漁港機能は安全に関わることですので、東北大学災害科学国際研究所とは大変親しい関係にあるので勉強させて頂くことはしてまいりたいと思います。

 

今川 能登の地盤隆起にビックリしましたが、こちらもこれからどうなるのか分からない中で、対応を考えていかなければなりません。専門家に頼って新しい知見を伺ってほしいです。

 

質問② 災害危険区域については、防潮堤計画等を変更しても見直さないという本市の方針ですが、その影響について確認します。まずは建築制限の適用除外認定の状況、申請時におけるリスクと再シミュレーション結果の説明方法について伺います。また、被災後に災害危険区域内で住宅を修繕した世帯について、今後は建て替えや増築の規制に関する相談が増えていくと想定されます。支援策はなく、空き地が増えていくことが心配されますが、市として災害危険区域内の既存不適格建築物の数や状況を把握していますか。災害危険区域の今後の周知方法と合わせ、時間経過とともに起こりうる課題への対応についても市の考えを伺います。

 

菅原市長 災害危険区域についてでありますが、災害危険区域内の住宅を含む建物の棟数については、航空写真等をもとに把握しており、概ね1200棟あることを確認しております。

建築制限の適用除外認定件数については、平成24年の7月から本年1月末までで103件となっております。申請時における説明方法については、災害危険区域に関する条例第3条で建築を制限していることを説明し、同条例第4条の規定に基づく認定基準を満たす場合、建築制限適用除外認定しており、これまでに再シミュレーション結果の説明を求められる事案はありませんでした。

周知方法については、現在、ホームページに災害危険区域の指定区域図等を公表しており、さらに、全戸配布予定の津波ハザードマップの中にも災害危険区域を表示することとしております。 今後とも、災害危険区域における建築の制限を継続することが重要であり、引き続き、問合せ・相談等について、丁寧に対応してまいります。

 

今川 航空写真で確認した1200棟は、事業所と住宅とで区分できますか。

 

小野寺住宅課長 住家か非住家かではなく、建物全体の数です。

 

今川 気仙沼市の住宅再建独自支援制度を見直しする際、災害危険区域内で再建したのは194件で、そのうち138件は修繕だという説明でした。修繕はできても、将来的に壊したり建替えたりするときに、どういった問題が起きるでしょうか。災害危険区域の範囲は変えられないにしても、運用の部分は最新シミュレーションに合わせて変えていかないと、混乱するだろうと思っています。内部で検討していませんか。

 

菅原市長 ものすごく悩ましい状況になりました。最悪条件というシミュレーションが出たので、いまは30cmで除外認定だったところに、最悪条件のシミュレーションだと3mだったりします。いまは30cmの基準で家に関してはやるわけですか、本当にそこで建替えしますと言われたときに、基礎をやれば大丈夫ですからというふうに言っていいのかということが、実は大きな問題として出てきています。庁内で考え方をまとめていませんので、少し真剣に考えておかないと、ご指摘のようなことが起きてしまうことがあります。あと、災害危険区域とか住んでいけないとか忘れている人もいて、そこにプレハブを作って宿舎にしそうになったとか、今度はそこで住民登録がちゃんとチェックできるのか、具体的にはそういうこともちらっとあって、修正して事なきを得たりしています。そういうことを含めて、このことはずっと我々として抱えていかなくてはならないと思っています。特に除外認定ついては、保守性の原則で少なくてもそのことはハッキリしていきたいと思っています。あとは内部でいろいろ検討します。

 

今川 災害危険区域は地面に線が引いてあるわけではないので、地図はホームページで公開されていて、ハザードマップにも線を入れるということですが、何かの考え方を持たないといけません。一番危惧しているのが除外認定です。令和4年6月の前回の報告から1年8カ月で4件増えているだけなので、数としては心配するほどではありませんが、当初の設定より防潮堤がセットバックしたことで、宅地が防潮堤の海側に出てしまっても、当初のシミュレーションのままだと50cmくらい盛土すれば家が建てられる場所があります。もしその申請が来た時に許可しますか、しませんか。

 

小野寺住宅課長 原則で申し訳ないのですが、災害危険区域は住宅の用に供する建物の建築を制限するエリアということで、住宅の立地を避けるべき区域だといったところがあるので、除外認定のように例外的に建物の建築を認めるという考え方ではなく、家を建てることを控えてほしい、あるいは建築を勧めないという考え方で現在もそうですが、申請前の事前の問い合わせとか相談があった場合に、そのような趣旨をまず説明していますし、宮城県が出した津波の最大想定が公表されてからは浸水リスクや避難について補足的な説明を加えているので、ご了解願いたいです。

 

菅原市長 今川議員も覚えていると思いますが、堤外についてです。例えば、港町エリアには防潮堤をつくらなくて済んだ理由は、堤外にあっていいものは何ですかというガイドラインがあって、食堂はいいけど住宅はダメとか、いろんなことが書いてあります。その中に住宅はありませんので、ここは迷いなく、堤外については住宅の建築は許可しないという方針で本市は進めたいと思います。

 

今川 堤外はダメだと法的に言えるものなのかどうかは再度チェックしてください。基本的にその方針でやらないとみんな混乱してしまいます。堤外に住宅が建てられないように運用できる状況になっていますか。

 

小野寺住宅課長 堤外に住宅は建てられないというスタンスで説明していますので、実質的に防潮堤より海側になると確認されれば、それは危険度が増す状況ということですので、申請者に説明していくスタンスでとらえている状況です。

 

今川 港町で堤外に住宅は建てられませんと言って、今後そこに家が建てられないように規制できるのかというと、難しいのではないですか。災害危険区域内の除外認定の基準は決まっていますので、それを満たしている人に対してダメということはできないと思います。市長がダメだからと止められるのですか。裁判になっても絶対に勝てますか。

 

小野寺住宅課長 やはり白黒ではないと実は思っています。スタンスとすれば、そこは危険な区域対応ということで危険区域設定している状況ですので、建築をまずは制限というか、建てないでほしいということでまずは説明していくのが我々の責務です。安全第一で丁寧に説明してまいりたいです。

 

菅原市長 制度で強制できない状況だと確認できれば、それは制度で強制するようにするしかないと思います。そのことを前提に、いま課長が話したような前提に多くの人が移転しました。公平性ということから考えても、制度で担保できていないのであれば、しなくてはいけないと思います。その時にどこまで困難さがあるか分かりませんが、やはり我々被災地としてはそこは正面からぶつかる必要があると思います。

 

 

質問③ 水産加工団地や水産加工集積地の水産加工場などを対象に施設整備費用の8分の7を補助した水産業共同利用施設復興整備事業は、5年間の事業計画を審査して補助対象を選定しました。その後、計画通り事業が進んだかどうか、被災地域からの水産物仕入れ目標を達成しているか、施設が過大になっていないか、市としてどのように把握し、その内容を分析していますか。得られた教訓とともに説明を求めます。

 

菅原市長 水産業共同利用施設復興整備事業の現状についてでありますが、当事業は平成24年度から令和元年度までに計9回の公募を行い、38社の事業を採択しております。

事業完了後の稼働調査では、水産物加工処理施設を整備した35社において、事業完了後から5年間で事業計画書に記載の生産量を達成した事業者は13社、生産金額を達成した事業者は17社であり、原材料となる国産水産物について被災地等からの仕入金額50%を達成した事業者は34社であります。

この調査結果の要因としては、海洋環境の変化などの影響により、サンマやサケといった前浜で水揚げされる加工原料の安定的な調達が困難となったこと、震災により失った販路の回復の遅れや新型コロナウイルスの影響による需要の減少などが考えられ、事業計画作成の段階では予測ができなかったものであります。

以上、計画目標を達成できていない点もあるものの、施設の復興に要する初期費用へ高率な補助が受けられたことで、比較的規模の大きい事業者においては、水産加工施設等集積地整備と相まって、施設規模の拡大や点在していた施設等の集約、高度衛生管理に対応した施設と省力化機器を整備することが可能となるなど、生産性の向上が図られており、産業の再生、雇用の確保・拡大に繋がったものと捉えております。

 

今川 制度では(申請時に)市へ5年間の事業計画を出して、(補助金交付後も)国産水産物の規定についても7年間報告する義務があり、継続課題になると思っていました。しかし、相当の会社が50%をクリアしているということでした。水揚げが良い時は大丈夫でも、悪くなった時は大変だと思うのですが、7年間クリアできそうということですか。

 

齋藤水産課長 市では7年間の稼働状況調査を行っていますが、その期間の中で一度でも達成できればいいという考え方なので、7年間ずっと達成しなければならないということではありません。漁模様によっては達成できないときもあったという報告になっています。

 

菅原市長 制度ですから守らなくてはいけなかったのだと思います。そういう中で35社のうち34社が一でも達成できたということで、これは何とか滑り込んだと思っています。ふるさと納税の返礼品を見て分かるように、儲かる仕事をして頂きたいです。工場をなるべくフル稼働して頂きたいです。そういうことができれば、国産物であれば、気仙沼の前浜物、しかしながら臼井議員の質問にあったようにかつて10万トンを目標にしていた水揚げは233億円あっても6万5千トンしかないわけですから、それで工場を空かせるのは何の意味もありません。いろんな商品に挑戦して頂くことは非常に大切だと思っていますので、ここはこれで良かったなと、それでいいと思います。私は工場をフル稼働していただくこと、気仙沼からの出荷額を増やして頂くことを支援して、今後も我々は気を配っていく必要があると思っています。

 

今川 8分の7補助は産業再建に貢献した制度だと思います。この原材料の部分が足かせになってなければ良かったです。せっかく経営状況が市に報告される状況ですので、現状把握に生かして、市の政策立案に役立てていますか。

 

齋藤水産課長 この調査から震災によって失った販路の回復の遅れだったり、新型コロナの影響だったり、あるいは物価高騰だったりが読み取れ、直接伺う機会もあります。我々としては水産加工の現状を打破するように、今後も県や国に相談して指導を頂きながら取り組みたいと考えています。

 

今川 廃業への道が怖いので、しっかり支援できるようにデータを活用してください。

 

 

Leave a Comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *

CAPTCHA


*