(2015年5月の質問と回答です)
【質問】4月7日の「災害公営住宅から希望の財源」に質問なのですが 、そしていじわるな質問なのですが、自治体はこの事実を把握していて、そこから何かを生み出そうとしているのでしょうか。私はいま、仙台に住んでいますが、そういうところが見えてきません。
私がなぜこのような質問をしますかと言いますと、被災者が自分よりも弱い被災者を食い物にする現象があちこちで起こっているからです。そして、マスコミがそれを取り上げないのはしかたがないとして、東北自身がその責任のすべてを国や都市部の人間に押し付けているように思えてならないのです。そういう東北の姿に、そういう人間がまかり通っている姿に、私は失望しています。
被災地では、談合による落札率の異常な高さ、競争入札から随意契約切り替えまでの工事延期が当たり前になってきました。被災地で声をあげるすべての人が「それは東京でオリンピックを開催するからだ」と言いますけど、それがすべてではないことは先生もご存じのはずです。それでも被災地で声をあげる人は次々に暴利をむさぼりながら「赤字覚悟だが、被災者のためにやる」「国はわかっていない」「東北は都市部の奴隷だ。ふざけるな」といいます。そして、自分たちを正当化しています。私はそういう姿を見るたびに、「あれだけ凄惨な光景を見た当事者、またあそれに近しい者たちなのにこんなことが出来るのだろう。あの2万足らずの死者の魂をいいように使っているだけではないか」、とそう思っています。
復興予算の一部地元負担が語られるこの時期に、私がこのようなことを言うと、政府の回し者かと言われるかもしれません。
でも、私は思うのです。
残念ですが、おそらく津波被災地のほとんどの集落は消滅するでしょう。防潮堤を建てて、かさ上げ工事をして、それで終わりになるでしょう。他の地域の人は知らないでしょうけれども、その地に生き続けている人々はみなわかっています。だから、頭を切り替えて転居する人が多くいます。でも、あきらめきれない人がいます。街が死ぬ事実を知っていても、その地で頑張る人がいます。そこにとどまり続け、毎日のように津波でできた更地を見続けて、津波と死者の記憶をリフレインする人々がいます。
その人たちは街の死に気がつかないほど、愚かでも無感覚なのでもありません。私は被災地に言って気が付きました。みんな気がついています。みんなとてもいい人です。そして、感情豊かで思いやりにあふれています。ただ「街が死ぬ」という言葉を使わないだけです。そして、誰もが眼の奥に尋常ならざる悲壮観を宿しています。
震災直後、そして震災後2年は多くの人が助け舟らしきものを出しました。ボランティアや建築家などです。その中には、実現することのない空想めいた希望を、上から目線で、語る人が多くいました。
でも、4年も経てば、誰も居なくなりました、希望を見せるだけ見せて、失望させた時の責任は取らずに、誰もいなくなりました。もしかしたら、東北の人にとはそういう人間たちに過去自分たちをいいように使ってきた中央官僚たちの姿がダブって見えたかもしれません。それでも、その気持ちを押し殺し、訪れる人に感謝の気持ちを述べて、その地で生き続けている人がいます。
今の被災地ではこのように、時間が経つにつれ人間関係が減っていき、孤独にさいまれながら、夢も希望も持てない人が多くいます。そして、精神と肉体が疲弊しています。本当に救わなければいけないのはこう言う人です。私たちは街の死という厳しい現実は止められなくとも、せめてあぁ生きていてよかったと心から思える、一瞬でもいいから思わせなければいけないのだと考えています。
でも、今聞こえてくる声の多くは、東北本来の声であるかどうか私は非常に懐疑的です。震災関連で企業を訴えたある遺族団はカメラの前では強い言葉を散々使って嘆き悲しんでいますが、カメラが写らない裏では遺影を掲げて笑っていました。その姿を見て、私は本当に悲しくなりました。そして、この人が被災者たちの代表のように扱われるのか、と心底震えました。そうやって憎しみだけを子供や孫の代に伝えるのかと、私は疑問を大きくさせました。
【回答】「震災前よりも良くなることが復興だ」という言葉が、いつの間にか目標となり、いまの被災地は現実との格差に焦っています。その中で、どんな希望を見つけられるか、最近はそんなことはばかり考えています。
ご指摘の多くのことは、私も実感しています。ただ、いっきにこうなったのではなく、被災直後の混乱期から少しずつ積み重なってできた状況ですので、すぐに修正することは困難というのが正直な思いです。そうはいっても、少しずつ正常な状態に戻していくことは、私たち政治家や自治体の大きな役割でもあります。
震災前の気仙沼は、中心市街地の3割が空き店舗という状態で、人口流出も産業衰退も震災がすべて悪いわけではありません。私も新聞記者を15年してきたので分かりますが、被災地の真実をメディアで伝えていくのはとても難しいです。だから、しがらみのない私がコツコツと情報発信に努めています。
「災害公営住宅から希望の財源」というタイトルにしましたが、実際の中身は国の制度設計の不備を指摘するものです。本来、焼け太りするようなお金は受け取るべきではないのですが、復興のために使うという約束があれば、このような自由なお金は本当にありがたいです。黙っていればよかったのかもしれませんが、国民みんなの負担によって成り立っている復興予算ですので、あえて問題点を明らかにしました。そうすることで、正しく活用していくことができると信じています。