災害公営住宅について新しいことが分かりました。災害公営住宅を建てるための借金や維持管理費が被災自治体の負担になることを心配してきましたが、まったくの思い違いでした。東日本大震災に合わせた国の制度が手厚い内容のため、災害公営住宅が多いほど被災自治体の収入が増える仕組みになったのです。
詳しくはこれから説明しますが、結論からいうと、維持管理費を除いて1戸当たり1000万円程度の黒字になりそうなのです。財政難にあえぐ被災自治体にとっては大変ありがたいことですが、全国民の増税によって生み出された財源なので、復興に限定して活用しなければなりません。
■特例で補助率引き上げ「4分の3」→「8分の7」
まずは災害公営住宅の制度から説明します。
公営住宅の建設費用に対する国の費用負担は、平常時なら45%程度ですが、大規模な災害(激甚災害)が発生した場合は「4分の3」に引き上げられます。しかし、阪神淡路大震災に遭った兵庫県は、残り「4分の1」の負担が重くのしかかり、復興とともに財政難となりました。
そこで、東日本大震災では国の負担割合を「8分の7」まで引き上げました。防災集団移転など他の復興事業が国の100%負担なのに、災害公営住宅だけ地元負担を残したのは、入居者からの家賃収入があるためです。この「8分の1」の負担分は、気仙沼市は借金をして30年かけて返済する予定です。
これだけなら、地元負担と家賃収入がプラスマイナスでバランスがいいのですが、災害公営住宅整備にはさらに2つの支援制度があります。
■手厚い家賃低廉化補助
その1つは、家賃低廉化事業です。これは平常時からある制度で、公営住宅の家賃を抑えるための補助金です。公営住宅は本来は低所得者を対象とした公的施設のため、建設費に見合った家賃に設定することができず、差額分を国が補助します。例えば建設費から考えると月12万円の家賃なのに、3万円で貸し出す場合、その差額の9万円が国補助の対象になります。
つまり、建設費を大幅に補助してもらいながら、わずかな負担はあるものの12万円の家賃で貸しているのと同じ収入があることになります。
家賃低廉化補助の計算式は下記の通りです。建設費や近隣の民間賃貸の家賃などから算定して「近傍住宅家賃」から設定した家賃を差し引いた額が対象になります。例えば、南気仙沼小跡に完成した南郷住宅の場合、65㎡タイプで「近傍住宅家賃」は13万2000円になります。(※収入から家族数による減免を差し引いた「政令月収」が基準値を超えると、収入超過者になり、基本的には退去を迫られるとともに、近傍住宅家賃まで実際の家賃も段階的に引き上げられます。)
入居者の家賃は抑えられる一方、建設費が高騰したり、間取りを広く確保したりすると、近傍住宅家賃が上がり、その差額が対象となる家賃低廉化の補助額が増える仕組みなのです。
■補助は20年先まで
ただし、差額分がすべて補助されるわけではありません。平常時なら国の負担は45%、激甚災害なら「4分の3」になります。これにも東日本大震災の特例があり、国負担は「8分の7」に引き上げられました。対象期間は20年間で、最初の5年は「8分の7」ですが、6~20年目は「6分の5」になります。
このほか、政令月収が8万円以下の世帯の家賃を抑える家賃低減化事業(新設)があります。期間は10年間で、6年目から段階的に本来の家賃に戻っていきます。
災害公営住宅の黒字化は、建設費と家賃低廉化事業の地元負担が一緒に引き下げられたことが原因です。
■1戸当たり1000万円以上か
分かりにくいので、事例で説明します。1戸の整備費用が3000万円の災害公営住宅の場合、地元の負担は「8分の1」なので375万円です。起債して年利1.5%で30年償還にすると、利子を含めて465万円になります。分かりやすくするために維持管理費は除きますが、この465万円を実質的な地元負担とします。
この465万円は、家賃2万円をもらえば20年で返済できてしまうのですが、家賃低廉化事業によってさらに1000万円ほど国から補助がもらえるのです。気仙沼市は2200戸の災害公営住宅を計画しており、単純に計算すると補助合計は220億円(1000万円×2200戸)になります。
1戸当たり1000万円と見込んだ根拠ですが、1戸当たりの家賃低廉化事業の補助額は公表されていないものの、震災復興交付金では「26~32年度までの全体事業費143億2427万円」と明らかにされています。この数字を分析すると、1戸当たり年間100万円以上の事業費になります。負担割合、空き室増加、減価償却を加味しても、20年間で1戸当たり1000万円という見通しは少ないくらいです。管理費や修繕費を引いても黒字になることは間違いありません。
■特例で用地費も補助対象に
特例によって補助率が引き上げられただけでなく、災害害公営住宅の建設用地の取得造成費用も建設費と同じ補助対象となりました。用地費の補助は激甚災害でも認められず、地元の100%負担でした。この負担が「8分の1」に軽減された上に、家賃低廉化の補助率が引き上げられたことで、災害公営住宅が財源を生み出す仕組みになったのです。ここでいう財源は、国の補助金です。
制度を担当する国交省住宅総合整備課に問い合わせましたが、家賃低廉化の補助が20年間続くことは間違いないようです。復興庁宮城復興局にも確認しましたが、あまり問題にはなっていないようでした。
■理解得られる使い方を
とはいえ、増税による復興予算で建設する災害公営住宅です。家賃収入、国からの補助金で黒字になっても、その余剰金はきちんと管理し、復興や住宅政策へ適正に充当していかなければ、国民の理解は得られません。今回、このような情報を被災地から発信するのも、たくさんの支援に恥じない復興を成し遂げるためです。いま、5年間の集中復興期間が終了した後の財源問題が争点となっていますが、災害公営住宅の収入も加味すべきだと思います。財政負担を敬遠して、災害公営住宅の建設戸数を減らそうと努力した自治体もあるのです。
なお、気仙沼市が昨年9月に公表した財政シミュレーションには、この災害公営住宅の収入は反映されていません。想定では30年度以降に赤字財政となることが心配されていたので、被災自治体として本当にありがたい収入です。ずいぶん難しい内容になりましたが、大切な問題なので報告させていただきました。
今川先生、今日初めてこのサイトに来ました。
他では語られることのない、被災地の現実を見ることができて、ありがとうございます。身が引き締まる思いになり、自分の無知をいやというほど思い知らされました。
この記事に関して質問なのですが、そしていじわるな質問なのですが、自治体はこの事実を把握していて、そこから何かを生み出そうとしているのでしょうか。私はいま、仙台に住んでいますが、そういうところが見えてきません。
私がなぜこのような質問をしますかと言いますと、被災者が自分よりも弱い被災者を食い物にする現象があちこちで起こっているからです。そして、マスコミがそれを取り上げないのはしかたがないとして、東北自身がその責任のすべてを国や都市部の人間に押し付けているように思えてならないのです。そういう東北の姿に、そういう人間がまかり通っている姿に、私は失望しています。
被災地では、談合による落札率の異常な高さ、競争入札から随意契約切り替えまでの工事延期が当たり前になってきました。被災地で声をあげるすべての人が「それは東京でオリンピックを開催するからだ」と言いますけど、それがすべてではないことは先生もご存じのはずです。それでも被災地で声をあげる人は次々に暴利をむさぼりながら「赤字覚悟だが、被災者のためにやる」「国はわかっていない」「東北は都市部の奴隷だ。ふざけるな」といいます。そして、自分たちを正当化しています。私はそういう姿を見るたびに、「あれだけ凄惨な光景を見た当事者、またあそれに近しい者たちなのにこんなことが出来るのだろう。あの2万足らずの死者の魂をいいように使っているだけではないか」、とそう思っています。
復興予算の一部地元負担が語られるこの時期に、私がこのようなことを言うと、政府の回し者かと言われるかもしれません。
でも、私は思うのです。
残念ですが、おそらく津波被災地のほとんどの集落は消滅するでしょう。防潮堤を建てて、かさ上げ工事をして、それで終わりになるでしょう。他の地域の人は知らないでしょうけれども、その地に生き続けている人々はみなわかっています。だから、頭を切り替えて転居する人が多くいます。でも、あきらめきれない人がいます。街が死ぬ事実を知っていても、その地で頑張る人がいます。そこにとどまり続け、毎日のように津波でできた更地を見続けて、津波と死者の記憶をリフレインする人々がいます。
その人たちは街の死に気がつかないほど、愚かでも無感覚なのでもありません。私は被災地に言って気が付きました。みんな気がついています。みんなとてもいい人です。そして、感情豊かで思いやりにあふれています。ただ「街が死ぬ」という言葉を使わないだけです。そして、誰もが眼の奥に尋常ならざる悲壮観を宿しています。
震災直後、そして震災後2年は多くの人が助け舟らしきものを出しました。ボランティアや建築家などです。その中には、実現することのない空想めいた希望を、上から目線で、語る人が多くいました。
でも、4年も経てば、誰も居なくなりました、希望を見せるだけ見せて、失望させた時の責任は取らずに、誰もいなくなりました。もしかしたら、東北の人にとはそういう人間たちに過去自分たちをいいように使ってきた中央官僚たちの姿がダブって見えたかもしれません。それでも、その気持ちを押し殺し、訪れる人に感謝の気持ちを述べて、その地で生き続けている人がいます。
今の被災地ではこのように、時間が経つにつれ人間関係が減っていき、孤独にさいまれながら、夢も希望も持てない人が多くいます。そして、精神と肉体が疲弊しています。本当に救わなければいけないのはこう言う人です。私たちは街の死という厳しい現実は止められなくとも、せめてあぁ生きていてよかったと心から思える、一瞬でもいいから思わせなければいけないのだと考えています。
でも、今聞こえてくる声の多くは、東北本来の声であるかどうか私は非常に懐疑的です。震災関連で企業を訴えたある遺族団はカメラの前では強い言葉を散々使って嘆き悲しんでいますが、カメラが写らない裏では遺影を掲げて笑っていました。その姿を見て、私は本当に悲しくなりました。そして、この人が被災者たちの代表のように扱われるのか、と心底震えました。そうやって憎しみだけを子供や孫の代に伝えるのかと、私は疑問を大きくさせました。
先生のホームページで、長いコメントを残してすみません。先生も答えようがないと思います。
それでも、先生の活動のひとつひとつが、本当に救わなければいけない人たちを救う道につながると信じています。先生を応援しています。
長くなりましたので、それでは。
O.Mさんへ
「震災前よりも良くなることが復興だ」という言葉が、いつの間にか目標となり、いまの被災地は現実との格差に焦っています。その中で、どんな希望を見つけられるか、最近はそんなことはばかり考えています。
ご指摘の多くのことは、私も実感しています。ただ、一気にこうなったのではなく、被災直後の混乱期から少しずつ積み重なってできた状況ですので、すぐに修正することは困難というのが正直な思いです。そうはいっても、少しずつ正常な状態に戻していくことは、私たち政治家や自治体の大きな役割でもあります。
震災前の気仙沼は、中心市街地の3割が空き店舗という状態で、人口流出も産業衰退も震災がすべて悪いわけではありません。私も新聞記者を15年してきたので分かりますが、被災地の真実をメディアで伝えていくのはとても難しいです。だから、しがらみのない私がコツコツと情報発信に努めています。
「災害公営住宅から希望の財源」というタイトルにしましたが、実際の中身は国の制度設計の不備を指摘するものです。本来、焼け太りするようなお金は受け取るべきではないのですが、復興のために使うという約束があれば、このような自由なお金は本当にありがたいです。黙っていればよかったのかもしれませんが、国民みんなの負担によって成り立っている復興予算ですので、あえて問題点を明らかにしました。そうすることで、正しく活用していくことができると信じています。
今川先生
丁寧な返信をしていただき、本当にありがとうございました。今考えれば、私のコメントは釈迦に説法みたいな文言が並んでいて、本当に恥ずかしいかぎりです。
今日は玉浦西地区に行きましたが、被災地では久しぶりに、ほっとした気分になりました。玉浦の本当の答えもまだ出たわけではありませんが、玉浦と同じように気仙沼にも良い風が訪れることを願っています。
今日は本当にありがとうございました。