人口に関するデータはいろいろありますが、旧本吉町、旧唐桑町を除いた旧気仙沼市の人口がついに5万人を割り込みました。2015年8月末現在の人口は、旧気仙沼市4万9986人、旧本吉町1万344人、旧唐桑町6661人です。
市町合併によって人口が増えた錯覚に陥りますが、旧市町ごとに見るとものすごいペースで減少しています。
■30年間隔で2万人増え、2万人減る
旧気仙沼市は、気仙沼町、鹿折町、松岩村が合併して1953年に誕生し、その時の人口は3万5772人でした。1955年に新月村、階上村、大島村を編入して5万3627人になり、その後は増加し続け、1981年には6万9000人台に達しました。しかし、少子高齢化、転出超過によって減り続け、2004年には6万人を割りました。
2006年に唐桑町、2009年に本吉町と合併し、7万5千人を超える人口となり、感覚がマヒしましたが、旧気仙沼市の人口はわずか11年で1万人も減ってしまったのです。簡単にまとめると、5万人の都市が30年かけて7万人近くまで増えたけど、さらに30年経ったら5万人に戻ったということになります。
元に戻っただけならいいのですが、成長期に増えた公共施設、産業形態などはそのままです。急激な人口の変化に、都市の変化は追い付かずにいます。
■8月は29人生まれました
なお、2015年8月の出生数は29人でした。今年の累積出生数は215人で、前年同期より25人少なくなっています。
先生、こんにちは。
今回も答えにくい質問をさせてください。
この人口流動は、住民票の移動を元にされているのでしょうか。
私は、被災地における統計人口と実態人口の開きを懸念しています。東日本大震災で、津波被災地と原発被害地の住民が町外避難しました。震災から5年近くたつと、住民票を移動しないだけで、その避難者も移住者に近しい立場の人もでてきます。
気仙沼はちがうと思いますが、福島の自治体では、生活実態がまったくない住民に住民票を移動しないようにお願いする、ということもされています。
つまり、実態を把握するための統計データが、実態とかい離しているという矛盾を抱えています。流入する側になりますが、私が不動産空き家数からおおざっぱに逆算したところ、人口が市の統計と数万オーダーで開きがあります。
この問題は国からの予算分配に直結するため、私も触れにくい問題であるという自覚はあります。しかし、この状態がいつもでも続くわけではありません。
そこで、先ほどの質問への回答と、先生のこの問題に関する見解をお聞かせください。
よろしくお願いします。
この統計は住民基本台帳(住民登録)に基づいていますので、ご指摘の通り、実際の居住人口とかい離しています。10月の国勢調査で実際の居住人口を調べ、その結果が地方交付税に反映されるわけですが、気仙沼市などは被災地の緩和措置を要望しているところです。
どのくらいかけ離れているかは分かりませんが、土地区画整理などによって住宅が一戸もなくなった地域にも、震災前の2~3割の住民登録が残ったままとなっています。その方が市内の仮設住宅に居るのか、市外へ出てしまったかは不明です。一応、全国へ避難している人向けの支援システムはあるのですが、数値が変動しないところを見ると当てにならないようです。気仙沼市も市外(一関市)に仮設住宅をつくっているので、その分は公営住宅完成などとともに人口が戻ってくることになります。
個人的な感覚では、住民登録以上に人口が減っている気がします。来年2月に公表される国勢調査の速報に注目です。
丁寧な回答をありがとうございます。
前のコメントに言葉が抜け落ちているため、補足しておきます。数万オーダーで開きがあるのは、仙台の話になります。
実は、仙台市の災害公営住宅に入居できない人が600人に上っています。仙台市は周辺自治体に気を使って、避難者の実態調査を避けてきました。このため、仙台市街地の人が仙台市の公営住宅に入居した人数分、仙台市民がはじき出されるという事態が起こっています。しかし、仙台市は仮設の統廃合は進めずに仮設閉鎖すると決定した為、行き先のない住民の身の上が心配されています。
色々なものがめぐりにめぐって、このような現状につながっています。地元マスコミも震災についてここまで深く突っ込んでいないため、私も如何ともしがたい気持ちが募っています。
長くなりましたので、このへんで失礼します。