市議会議員としての活動が軌道に乗ってきたので、気仙沼の外へ出向く時間を確保できるようになりました。最初の遠出は福島へ。新聞記者時代、予算面などで復興庁に問い合わせると、「福島のことも考えて下さい」と何度も諭されていた場所です。気仙沼の人にもぜひ一度は足を運んでほしいので、詳しいルートも紹介します。
気仙沼の自宅を午前3時に出発し、三陸道から仙台東部道路へ。そして国道6号線から福島県へ入ります。福島第一原発を中心に国道6号の双葉町から富岡町間は通行止めになっていましたが、今年9月15日に解除されました。この区間は帰還困難区域に指定されており、沿線の民家や事業所に人影はありません。14㎞にもわたって民有地や脇道にはバリケードが設置されています。地震でガラスが割れたり、瓦が落ちたりしたまま、朽ちるに任せた建物もありました。
国は不要不急の通行は控えるようにと通知していますが、視察目的の大型観光バスも多かったです。道の駅は、仮の警察署となっていました。富岡町に入ると、交差点へのバリケードがなくなり、枝道に入ることができました。無人の商店街は震災から時が止まったままで、海の近くの新興住宅地には全半壊した家屋がそのまま残され、津波で流されたであろう車が転がっていました。学校もお店も無人ですが、3年8カ月前までは普通の暮らしがあったのです。
宮城や岩手ではガレキの撤去が終わった一方で、震災を風化させまいと、被災した建物を震災遺構として保存するための話し合いが本格化しています。しかし、地震と津波の爪痕をそのまま残す福島の現状を見ると、複雑な思いになりました。今までも、今でも被災市町にはほかの市町のことを考えるような余裕はなく、むしろ、被災地の中で復興のスピードを競争しているような状態ですが、「もっと全体像を理解して考えなければならないのではないか」と思うのです。そして、そういう役割を復興庁に期待したいです。
「被災地もコスト意識を持って」と復興庁は何度も繰り返していたのに、実際は少しでも多くの予算を地元に持ってくることに懸命です。心配していた通り、25兆円の復興予算復興レポート③(復興予算)も底をつきそうになっています。この25兆円の多くは、25年にわたって国民全員の所得税を増税して確保する大切なお金です。本当に必要なことに使わなければなりません。
南相馬市、浪江町、大熊町、富岡町、楢葉町、広野町を抜けた先に、いわき市があります。カツオやサンマ、メカジキを特産品とした小名浜港は気仙沼に似たようなイメージでしたが、こちらは水族館「アクアマリンふくしま」を中心にした集約型の観光地になっていて、気仙沼とは比べ物にならない活気でした。無人のまちを見た後だったので、そのにぎわいが不思議でした。物産施設では東日本大震災展が開催中で、避難所などが再現されていました。いわき市が作成した記録集を購入して見たところ、なかなかの内容でした。こうした公的な記録集は各自治体に必要です。
気仙沼を朝3時過ぎに出て、いわき市に到着したのは10時ごろでした。7時間ものドライブは大変ですが、震災や復興のことを少し立ち止まって考える大切な時間になりました。