JR気仙沼線復旧へ交渉の中身

東日本大震災で津波被害を受け、運休となったままのJR気仙沼線。鉄路跡を舗装してバス専用道とするBRTで仮復旧したものの、多額の費用負担や将来性から鉄路復旧は困難で、BRTの恒久化に向けた条件闘争が続けられています。12日に開かれた気仙沼市議会東日本大震災調査特別委員会の質疑から、現在の状況を報告します。

■JRはBRT本復旧を提案

経緯を簡単に説明すると、気仙沼線は柳津~気仙沼間(55.3㎞)の津波被害が大きく、まちづくりへの影響や安全面から、そのまま復旧させることができずにいます。当初は代替バスを運行していましたが、復旧・復興の工事車両による渋滞に巻き込まれるため、2012年8月からBRTへ切り替えました。

BRTは仮復旧であり、鉄路復旧を目指していました。しかし、安全確保のためのルート移設などで鉄路復旧には約700億円かかることが判明。JRが復旧するのは原形復旧分の300億円で、残る400億円は国や沿線自治体が負担するように求めていました。

ところが、昨年6月に新設された気仙沼線沿線首長会議で、国は黒字企業であるJRへ復旧費用を支出できないことを明言したことで、鉄路復旧の可能性はほぼ消滅したのです。しかも、無理に鉄路を復旧したとしても、震災前からの赤字路線をJRがいつまでも存続させるという保証はありません。議論が長引けば、復興まちづくりに影響する心配もあり、7月の第2回首長会議ではJRがBRTによる本復旧を提案しました。

■気仙沼市だけ受け入れ保留

南三陸町と登米市はこの提案の受け入れを早々と表明しましたが、気仙沼市だけは保留していました。鉄路復旧が困難だと分かっていても、先人の苦労によって開通した気仙沼線を簡単に諦められなかったからです。三陸道が延伸している登米市や南三陸町に比べると、仙台へのアクセス面で鉄路を失う影響も大きく、BRTを受け入れるための条件はとても大切なのです。

しかし、気仙沼市とJRの条件闘争は決着せず、最後の首長会議を昨年12月に迎えてしまいました。南三陸町と登米市が正式にBRT受け入れを表明したことで、鉄路の道は閉ざされましたが、気仙沼市はここでも態度を保留。菅原茂市長は震災5年の節目である2016年3月11日を期限とし、JRと交渉を続ける方針を示しました。

■交渉のカギは「仙台アクセス」と「地域振興」

ここで、JRと気仙沼市のそれぞれの方針を紹介します。

JR東日本はBRTによる本復旧に向けて、

①持続可能な交通手段として責任を持ってBRTを存続させる

②柔軟なルート変更や駅の移設、専用道整備で地域交通の活性化の貢献する

③新幹線との接続や高速バスとの連携によって仙台方面へのアクセス向上に努める

④産業や観光の振興による地域活性化に取り組む

などの方針を示しています。

気仙沼線首長会議資料2015.12_page005

気仙沼市が求めているのは「仙台とのアクセス」「地域振興・観光振興」「利便性の向上」ですから、基本的な方向性は一致しています。問題はその具体的な中身です。気仙沼市の具体的要望と交渉状況を一覧にしてみました。

交渉状況

菅原市長の説明によると、それぞれの要望の一定の検討はなされているようです。気になるのは、マスコミ報道でもあった観光・地域振興のための施設整備です。答弁では、市が補助金を活用した整備することをJRに支援してもらうという内容でした。新聞報道では、防潮堤計画で移転を検討している大谷の道の駅が念頭にあるようです。

BRT化に向けて、松岩、南気仙沼駅の在り方、新市立病院へのアクセスなど、さまざまな課題があります。鉄路を断念してBRTを選択するにしても、しっかりと利用促進策を考えなければなりません。

なお、大船渡線については気仙沼市、陸前高田市、大船渡市ともにBRT化を受け入れました。BRT化に伴うJRの方針は気仙沼線と同じ内容で示されました。

過去の経緯はブログ気仙沼復興レポートで紹介しています。

 

 

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