女川町のコンパクトなまちづくり【視察報告】

気仙沼市議会東日本大震災調査特別委員会で5月13日、女川町を視察しました。津波で壊滅的な被害を受けたことから、ゼロからのまちづくりに取り組み、市中心部に公共施設やにぎわいを集約する工夫が卓越していました。市街地の防潮堤計画も国道を活用した独特な内容となっています。

■人口減少に危機感

女川町は石巻市に隣接する人口1万人の町でしたが、震災によって827人が犠牲になりました。住民の8割が集中する市中心部が壊滅し、人口に対する犠牲者率は被災地で最も高くなりました。仮設住宅の用地が不足して石巻市に建設し、産業も大きな被害を受けたため、震災後に人口流出が進み、現在は7千人まで減ってしまいました。人口減少への危機感が、オリジナルな復興まちづくりの原動力にもなっているようです。

町は基幹産業である水産加工の団地整備を優先しました。津波から逃げることを前提としたまちづくり、公共施設を中心部に集約したコンパクトなまちづくりを進めています。

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その中心部は、土地区画整理と津波復興拠点整備事業による盛り土、高台の造成が行われています。基本的な考え方は気仙沼市などと同じで、災害危険区域を指定して低地部の居住を制限し、レベル2津波で浸水する土地は産業・商業用地とし、安全な高台を住宅地とします。復興は8年のスケジュールで考え、当初2年は復旧期、それから3年は基盤整備期、最後の3年は本格復興期にしました。

■半径1.5㎞の「コンパクトな市街地づくり」

中心市街地では、駅を中心とした半径1.5㎞以内に、生涯学習センタなどと合築する町役場、小・中学校、地域医療センター、集団移転団地、災害公営住宅、運動施設などを集約します。1.5㎞は歩いて行ける距離だそうです。 鉄道が再開した女川駅には、温泉施設が入った駅舎が整備されました。

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復旧した石巻線(小牛田~女川)は、気仙沼線の2倍近い利用があった路線です。津波で被害を受けた路線の割合が比較的低かったうえに、女川町内には高校がなく、石巻市内まで通学しなければならず、鉄路復旧は早期に決まりました。

■公民連携と復興デザイン

駅前には7.4㌶の賑わい拠点を用意し、町も出資するまちづくり会社に町有地を貸し出し、テナント施設を整備する計画です。女川町は商業の立て直しは民間の力に頼るしかないとの考えで、「公民連携室」を庁内に新設しました。女川らしいまちづくりを進めるため、復興デザイン会議を設置していることも特色のある取り組みです。商店街の景観ガイドラインづくりも目指しています。

■国道をレベル1防潮堤に

中心部には女川魚市場があるため、県が計画した海抜4.4mのレベル1防潮堤計画は見直されました。市場背後地に防潮堤を整備する土地の余裕がなく、利便性も低下することが理由で、町は早い段階から海岸線への防潮堤は不要と判断しました。沿岸を走る国道398号を5.4mにかさ上げし、のり面をコンクリートで被覆することで、防潮堤にすることにしました。県が海岸保全事業として工事を進めます。国道の背後地は土地区画整理で盛り土するため、内陸側から防潮堤は見えないことになります。

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復興まちづくりには700万㎥もの土砂が必要になります。土量ペースで4割の進捗率だそうです。原発が立地するほどの固い地盤のため、高台の掘削が計画通りに進められず、造成計画を大幅に見直しました。

■中学生の直訴で震災遺構保存へ

震災遺構は3つが候補に挙がりましたが、町はすべて解体する予定でした。しかし、中学生が町議会に直訴した結果、津波で横倒しになった交番を保存することになりました。   復興まちづくり情報交流館には、町中心部や集団移転団地の模型が展示されていました。立体模型を活用した計画づくりは住民にとっては非常に分かりやすく、初めて訪れる人にもイメージが伝わります。イメージ図もとても分かりやすかったです。駅前にあるフューチャーセンターも素敵で、「こんなまちに住みたいなと」と正直に思いました。女川の復興は今後も注目していきたいです。

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被害規模が異なるので比較はできませんが、女川町はもともとコンパクトなまちで、市町合併もしていなかったので、中心部に集中したまちづくりが進められました。原発による電源立地補助金によって財政が豊かで、復興事業に町独自財源を上乗せできたことも、他の被災市町とは異なります。それでも、復興の進め方、情報発信、総合的なまちづくりデザインなど、大変参考になりました。

3 Comments

  1. O.M

    今川先生、こんばんは。
    女川は建築家坂茂による3階建ての仮設住宅と新女川駅、グッドデザイン賞を獲得した災害公営住宅と復興のトップランナーと呼ばれていますね。しかし、先生の写真に写されている造成区画の埋まり方などを見ると、女川の内情は厳しいようです。

    そこで、質問なのですが、先生が気仙沼の復興状況と女川の復興状況を比較して、どの部分が一番気になりましたか。
    気仙沼と女川では、元々の市域、復興に向けた合意形成への時間の違いがありますし、気仙沼には市域拡大という負荷もさらにかかっていると思われるため、一概に比較検討はできないと思いますが、よろしくお願いします。

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  2. 今川 悟 (Post author)

    O.Mさん、視察報告を見て頂きありがとうございます。
    気仙沼と女川の比較ですが、一番は「規模」だと思います。
    原発を抱える女川は市町村合併から生き残り、中心市街地の規模ももともとコンパクトでした。気仙沼では、土地区画整理を南気仙沼、鹿折、内湾の三地区で行っていますが、これが一地区に集中できていたら、もっと内容を高めることができました。本吉町や唐桑町が合併していなかったら、それぞれ別な復興になっていました。

    また、独自財源の差もあります。気仙沼は後々の負担を恐れて、市長が「復興に市のお金を1円も使わない気持ちが必要」と復興予算に頼りましたが、女川では駅などの整備に町財源を投入しています。国からの電源立地補助金があるからです。女川の総合運動場は町中心部にありますが、気仙沼の運動場はほとんど郊外です。市街地に整備された平地があったことも女川の強みでしたが、これも町財源が豊かだったからできたことです。

    参考にしたいのは、PRの方法です。「町びらき」をはじめとする情報発信が分かりやすいことが、復興のトップランナーと称される要因になっていると思うからです。気仙沼ももっと分かりやすい言葉と情報を、市民やメディアに伝えていきたいです。

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  3. O.M

    いつも丁寧な回答ありがとうございます。
    先生の説明を聞いていますと、色々な思惑が交錯していることがうかがえます。私は気仙沼の事情には疎いのですが、気仙沼が抱える状況は平成の大合併で市域が拡大した石巻市(女川が合併を免れた地域)が抱える問題と似ているように思いました。
    女川はおそらくは、全国の目が集まりやすい3.11付近を狙った「街びらき」宣言が功を奏し、全国ネットでも取り上げられるほどの話題になりました。女川に新しい駅ができて電車が悠然と通る画は、テレビ画面からも非常にインパクトがありました。。
    気仙沼も南リアス線が完全復旧し、釜石とつながって、意気揚々と「街びらき宣言」して、全国に復興をアピール…という画が、私の頭の中で今膨らんでいます。

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